詩人高村純の日記です


by jtakamura95jp

プロとアマの境そのⅡ


人生に大切なものはいくつかあるが、
「この人には勝てない」という人との出会いも、大切なものだと思う。
それが人に謙虚さや向上心を教えてくれる。

さて、詩の話である。
あるところで「今は名刺に『詩人』と書けば、誰でも詩人になれる」と
掲示板に書いていた人がいた。
当然私のことだから掲示板には参加しないのであるが、
思ったのは、「そうか。なら名刺に『詩人』と書けば良い」
ということである。
その人は「冷笑」という言葉の意味を知ることになるだろう。

でも、ある意味それは正しい。
今、詩にプロなどいないのだから。
金をもらえばプロ、なんて言葉を聞くが、そうではないだろう。
アマチュアに負けない作品、プライド、立ち居振る舞いにいたるまで、
すべてを称して「プロ」と言うのではないだろうか。

詩の受賞作や詩集を読むと、プロとアマの垣根が無い。
ある意味、将棋界の求めている理想郷がここにはあるが、
それはこんなにも、実態の無い、寂しい世界なのである。
台所に日がさした、なんて詩のどこに感動すべきなのか私は知りたい。

つまりこうなると、人に対して、周りがチヤホヤするだけになってしまう。
昔は死んでから有名になった人がたくさんいるが、
あれはつまり作品が優秀だったけど、人間は誰からも相手にされなかったからであろうし、
今は死んだらそれまでで、
チヤホヤしていた人たちが一斉にいなくなる、という悲哀を感じるだけだろう。

私もそれは嫌になるほど見てきた。
人を見てるのであって、作品を見ていないなんてことは、
見ていて嫌な気分である。
薄気味悪いほどみんなが誉めるのである。
意味の分からない駄作を。

私はどうだろう。今も今後もどこにも所属しないでやっていくつもりだから、
まぁ、有名とは程遠い生活が続くだろう。
どこかに所属して、偉くなる、これが無いといけないらしいから。

しかし作品を読んでくれる人がいる。求めてくれる人がいる。
これだけで私は充分だ。
こんなに幸せなことはない。

昔、女性にフラれた時に、「作品は好きだけど、あなたは嫌いよ!」と言われことがあるが
これは詩人にとって素晴らしい誉め言葉である。
こうでなくっちゃ。
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by jtakamura95jp | 2005-12-09 16:13 | 詩の話