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詩人高村純の日記です


by jtakamura95jp

カテゴリ:詩の話( 10 )

新作できました。


高村です。

新作をアップしました。よろしくお願いします。

月と眠る夜
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by jtakamura95jp | 2006-09-12 22:07 | 詩の話

ホームページ更新

ホームページを更新しました。

詩篇 「忘れな草」

掲載作品 「忘れな草」「雪化粧」「明日」
        「情熱」 「手紙」「忘れな草Ⅱ」  

正式には「勿忘草」なんですが、読みにくいので簡略にしました。

詩篇のテーマは「忘れること、忘れないこと」です。

↓こちらからどうぞ
「月と眠る夜」
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by jtakamura95jp | 2006-01-26 23:37 | 詩の話

ラブレター

よく、文章はどう書いたら良いか聞かれる。
先日は若者にラブレターの書き方を伝授した。
メールではなく、レターである。いつの時代でも、手紙は最強であると思う。

ラブレターでよく失敗するのは、やたら「好き好き」書いていたり、
どこぞの歌詞で聞いたようなフレーズを使うことである。
こうなると相手に思いを伝えると言うよりも、ただの自己陶酔であり、
何も伝わらない。
むしろ薄気味悪くさえ思われてしまう。
漢字でも間違おうものなら、相手の印象には残る他は何も無い。

ラブレターにはコツがある。
コツと言っても、手先口先の技術のことではない。
相手の心に入り込むような文章の書き方がある。

私の場合はそのほかに、
「詩人のラブレター」であるプライドが加わるから、
詩を書くように真剣に書く。

だから「ここで一発決めよう」と思う以外には、ラブレターは使わない。
いや、むしろ使えない。

かの若者はどうするだろう。
今は使わないかもしれないが、きっと私の言葉を思い出してラブレターを出すだろう。
その時は、彼の結婚する時だ。
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by jtakamura95jp | 2006-01-07 07:37 | 詩の話

プロとアマの境そのⅡ


人生に大切なものはいくつかあるが、
「この人には勝てない」という人との出会いも、大切なものだと思う。
それが人に謙虚さや向上心を教えてくれる。

さて、詩の話である。
あるところで「今は名刺に『詩人』と書けば、誰でも詩人になれる」と
掲示板に書いていた人がいた。
当然私のことだから掲示板には参加しないのであるが、
思ったのは、「そうか。なら名刺に『詩人』と書けば良い」
ということである。
その人は「冷笑」という言葉の意味を知ることになるだろう。

でも、ある意味それは正しい。
今、詩にプロなどいないのだから。
金をもらえばプロ、なんて言葉を聞くが、そうではないだろう。
アマチュアに負けない作品、プライド、立ち居振る舞いにいたるまで、
すべてを称して「プロ」と言うのではないだろうか。

詩の受賞作や詩集を読むと、プロとアマの垣根が無い。
ある意味、将棋界の求めている理想郷がここにはあるが、
それはこんなにも、実態の無い、寂しい世界なのである。
台所に日がさした、なんて詩のどこに感動すべきなのか私は知りたい。

つまりこうなると、人に対して、周りがチヤホヤするだけになってしまう。
昔は死んでから有名になった人がたくさんいるが、
あれはつまり作品が優秀だったけど、人間は誰からも相手にされなかったからであろうし、
今は死んだらそれまでで、
チヤホヤしていた人たちが一斉にいなくなる、という悲哀を感じるだけだろう。

私もそれは嫌になるほど見てきた。
人を見てるのであって、作品を見ていないなんてことは、
見ていて嫌な気分である。
薄気味悪いほどみんなが誉めるのである。
意味の分からない駄作を。

私はどうだろう。今も今後もどこにも所属しないでやっていくつもりだから、
まぁ、有名とは程遠い生活が続くだろう。
どこかに所属して、偉くなる、これが無いといけないらしいから。

しかし作品を読んでくれる人がいる。求めてくれる人がいる。
これだけで私は充分だ。
こんなに幸せなことはない。

昔、女性にフラれた時に、「作品は好きだけど、あなたは嫌いよ!」と言われことがあるが
これは詩人にとって素晴らしい誉め言葉である。
こうでなくっちゃ。
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by jtakamura95jp | 2005-12-09 16:13 | 詩の話

プロとアマの境そのⅠ


将棋で、戦後初めてアマチュアがプロになった。

はて?プロになる前は誰でもアマチュアではないのか?
と思う人もいるかもしれないが、将棋のシステムはちょっと違う。

将棋でプロになるためには、「奨励会」というところに所属しなくてはならない。
全国のアマチュア大会で活躍できて、やっと入れるかどうか、
というところである。
しかも厳しい年齢制限があり、奨励会を勝ち抜かないと、
年齢で退会に追い込まれるというところである。

今回プロになったSさんも、一度奨励会を年齢制限で退会になり、
サラリーマンをしながらアマ大会に出て、アマも参加できるプロの棋戦で
プロ相手に17勝をあげ、
今回、「試験」として将棋連盟が選んだ6人のプロに3勝をあげ、
ようやくプロ棋士となった。
つまり、奨励会を経由しないプロは戦後初なのである。

しかし。これは果たして良かったのだろうか?
今回の「試験」で、プロ棋士がアマチュアに3人も負けたのである。
一人は元「女流名人」の現役である。
ちょっと待て、と言いたくもなる。

その昔、升田幸三という大棋士がいた。引退後この人が、
やはりアマチュアで、プロに連勝していた小池というアマチュアと、
角落ち(「角」という駒の無いハンデ戦)を戦った。
当然、角が無いハンデを負ったのは升田の方である。

結果は、升田圧勝であった。
それで、一部にあった「小池をプロへ」という話は一蹴され、
プロというものの権威が絶大になった。

「ナめちゃいけない。痩せても枯れてもワシはプロだ」
その時、升田が言った言葉である。
それが、プロ名乗るものの義務であり誇りであったはずだ。

今回負けた3人に、「負けたら引退しろ」くらい言える人はいないようだ。
勝ったアマと負けたプロが、対戦後に仲良くヘラヘラ笑って写っている写真があるが、
ただただ不快だ。

(そのⅡへ続く)
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by jtakamura95jp | 2005-12-09 15:44 | 詩の話

傍観者

詩は、往々にして自分の思いを告白するものである。
しかし、詩は、そんな思いに対し常に傍観者である。
この矛盾こそ詩であると思う。

自分の思いだけを書き連ねたものは、往々にして駄作である。
特に、誰か特定の人に対して書かれたものは、
公共の場では読むに値しない。不快なだけだ。

けれど、詩は自分の思いが入り込まねば、とても書けるものではない。
詩がそれを傍観する立場にいなければ、
あとはグズグズとした泥のようなものが残るだけだ。

そう思うと、詩はいかに難しく、いかに深いものであるかと思う。
そこに自分がいなくてはならない。
しかし、そこに自分がいてはならない。
この2つが交わるところに、名作があるのだと思う。

詩とは自分を告白していくことであり、
詩はそれを傍観するものである。
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by jtakamura95jp | 2005-12-03 02:51 | 詩の話

批評

ある人から、「詩について、あまりに過激な発言をするから驚いた」と言われた。
別に本人はそれほどのこととは思っていない。聞かれたから答えただけで。
でも「実は誰よりも厳しく見てるんだね」と驚かれることは、たまにある。

昔、かなり過激な批評の会にいたことがある。
出席者もその世界では有名な人ばかりで、かなり厳しいものだった。
ただ、私も負けてはいない。逆にガンガン批評した。
悔しいから、徹底的に読み込んで、徹底的に勉強した。
そこを抜けてきたのは、一つの自信になってはいる。

ただ、そんなところにいたから、批評も本気でやると過激になる。
「最初の一文字目から失敗作」という結論に達することさえある。

ただ、今は他人の詩を批評はしない。
求められればするけど、求められないから、やらない。
今一人求めて来たので、彼の詩集を深く深く読んでいるけど、
当時ほどの過激な論調は無いと思う。

それぞれにやり方はあるから、私は何とも言えない。
ただ、言わないだけで、いろいろ見破っているものはある。
だからと言って、それを何も考えず言えば良い、というものでもない。

みんなが、それぞれの思いを込めて一生懸命作った作品を私も大切にしたい、
そう思うから、批評は封印している。
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by jtakamura95jp | 2005-12-01 01:15 | 詩の話

犬の話。

私の詩に、たまに犬が登場する。

私の詩の犬は、だいたい人間なるものをバカにしているか、
何か変なストーリーテラーな存在だったりする。

だいたい、犬の活動を見ていると、その自由さに呆れる。
我が家にいた犬などは、犬唯一の義務とも言える
散歩さえしなかった。

哲学書だろうが小林秀雄の評論だろうが、
詩のことがクドクド書かれた専門誌だろうが、
彼らには、せいぜい枕か、マーキングの対象か、
さもなくば踏んで歩く程度のものでしかない。

犬にとって人間の小難しい考えなど
枕か、枕にもならない存在なのである。
まったくもって、ミもフタも無いのだけれど、
犬はそういうスタンスなのだから仕方ない。

そう考えると犬というのは、
なかなか上手な皮肉屋であると感じるのだ。
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by jtakamura95jp | 2005-11-01 03:51 | 詩の話

あこがれの詩

目標としてる詩がある。
いつかこんな詩を書いてみたい、というものがある。
林古渓という詩人の詩が、それである。


今は、書きたいものがあるし、
この境地になっていないから書けないものでもある。

いろいろ複雑な詩も、情熱的な詩も書いてきたし、
社会派な詩も書いてきた。
孤独な詩、痛みの詩も書いてきた。
でも60歳70歳くらいになって、
こういう世界に戻っていくんだろうな、と
思っている。

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浜辺の歌

           林 古渓


あした浜辺を さ迷えば
昔のことぞ しのばるる
風の音よ 雲のさまよ
よする波も かいの色も

ゆうべ浜辺を 回(もとお)れば
昔の人ぞ しのばるる
寄する波よ かえす波よ
月の色も 星のかげも
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by jtakamura95jp | 2005-10-29 20:12 | 詩の話

旅に出てみた

18歳の時に詩人と出会い、19歳で初めて書いた詩が「コスモス文学新人賞」の
佳作に入ってから、人生がハチャメチャになった。
ハチャメチャであるが、濃い人生だ。なんとも不思議なことに。

高校では3位の成績のまま地元の国立の大学に入り、
弁護士を目指していたはずが、
ある日ブラっと旅に出てそのまま帰らなかった、そんな感じである。

初体験はだいぶ年上の女流詩人だったし、
いろいろ教わったのは先輩詩人たちだった。
同じような世界なのに、私の人生に小説家(の卵)が登場するのは
つい最近である。
要するに詩ばっかりの人生である。

そんな詩も、もうすぐ20周年を迎える。旅に出て、20年だ。
何かイベントがしたいな、と思うが、
きっとまた詩を書いているんだろうな。
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by jtakamura95jp | 2005-10-29 02:18 | 詩の話