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詩人高村純の日記です


by jtakamura95jp

カテゴリ:詩人という生き方( 11 )

夢を追う

けっこう歌詞を作ったりするのが好きで、やってみたいのだが
そんなオファーが来るわけなく、かといって不精のために売り込みもせず
歌詞とは無縁のまま、相変わらず日々が流れていく。
特に、売れない若い歌手と売れない作曲家に、この売れない詩人が歌詞を書き、
若い歌手が売れる、なんて夢を見るのが好きだったりする。
しかしまぁ、いつそんな時が来ることやら。

この歳になっても、そんな夢は追っている。
たぶん、死ぬ間際で夢か現実か分からないときになっても
何かしら夢は追っている。

詩を書いているのも、一つの夢だ。
明日、新しいフレーズが出てくるかもしれない。
来週、とんでもないフレーズが湧き上がるかもしれない
これほどの快感は無い。
快感は希望になり、希望は道になる。
生きていて良かったと思う瞬間である。

ああ、それにしても。
わが道を行くこの詩人が、夢を実現するのは
いつになることやら。
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by jtakamura95jp | 2006-06-11 04:03 | 詩人という生き方

生き方、歩き方

機会があって、昔の知り合いのサイトを見た。

みんな、いろんな事をしている。仕事が変わった人、
個人で商売をして、昔の柔和な感じが無くなってしまった人、
いろんな事をしている。

私だけは、何年も何年も詩だけを心の支えにして生きている。
劇的に何かが変わることも無ければ、強気であることも無い。
性格も、生活水準も何も変わらない。
ただ日々が流れていくだけだ。
多分私だけが、何も変わっていない。
適当に人に好かれたり、嫌われたりしながら、
何も変わっていない。

お金は貯金箱にある。日々を賄うだけの仕事もある。
健康で、自分の時間もある。
詩を売る気も無いし、興味も無い。そんなレベルにいる必要も無い。

無理をするなよ、結果は同じだ。

私はそう思って生きている。そして、それに無上の幸せを感じている。

私は詩人であるということだけに、頑固に生きているのである。
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by jtakamura95jp | 2006-02-25 21:10 | 詩人という生き方

夢について話す機会があった。

そういえば私は3年前、詩を始めて15年以上が経過していたことに気付いた。
すっかり忘れていたのである。

何が始まりか思い返したところ、中学生の時に全国作文コンクールで銀賞を取ったことを思い出した。
するとこんどは、小学生3年のときに、原稿用紙100枚の作文を書いたのを思い出した。
私の詩を書く夢は、実はその時に始まっていたんだと、今になって思う。

「夢を持て」などと言うのは、夢を持たなかった大人が言うことだ。
本来なら、それが夢と気付いたとき、すでに夢は始まっているのだから。

ミュージシャンなら、夢うんぬんと言う前に、すでにどこかで演奏してるだろうし、
ギターを死ぬほど練習していることだろう。
役者ならすでに劇団に入っているだろうし、野球選手ならすでに野球を始めている。
技術者なら、すでに何かの組み立てくらい始めているだろう。

しかも、そういう環境が、まるで準備されているかのように身近にあったりする。
そんなものだ。

よく「詩人になるにはどうしたら良いですか」という質問を目にする。
その質問は変である。
なぜなら、もし詩人になりたいのなら、すでに詩集を作るなり、賞に出すなり、
どこかの同人になっていたりするはずだ。
悩むのはそれからである。
「役者になりたいのですが」と言う暇があったら、もう劇団を探しているはずだ。

それが夢だと思う。
夢を持たない大人の言うことを聞く必要は無い。
もうすでに、何かが始まっているのだ。
そしてその道を歩いていることを知ったときは、
強い意志で進んでいくだけだ。

どうせ、一度きりの人生なんだから。
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by jtakamura95jp | 2005-12-11 01:39 | 詩人という生き方

詩人という生き方

私の憧れの詩人がいる。Yさんとしておこう。
その世界では有名な人である。

彼こそが、私のイメージの中の詩人と言える。

着こなしが綺麗で、おしゃれだった。
言ってることも含蓄が深くて説得力があり、
そして女性によくモテた。
詩も素晴らしくバカバカしくて、ず~っと語っている連を、突然全否定して
怒涛の最終連へなだれ込むという力技を見せてくれたりした。
私も真似してみたが、さすがに全否定をしてからでは詩が組み立たず、
ただYさんの力に呆然とするばかりだった。

彼の生き方は、町の人から見るといろいろで、
もちろん悪く言う人もいた。
それでも、彼は飄々と生きている。

Yさんや私がいた詩人の集まりで、ホテルのビールを飲みつくしたのは笑い話であるが、
それが当然かのような豪快な雰囲気があった。

私は、立派な人間でありたいとは思わない。
ただ彼のように、豪快でおしゃれな生き方ができる詩人ではありたいと思っている。
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by jtakamura95jp | 2005-12-03 02:40 | 詩人という生き方

もう一つ。

次は100問近くに答えた結果。

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あなたがご回答なさった際に強く顕れた一面は・・・

『夢見る』 気質です。
良い精神状態の時
心温かい・思いやりがある・表現力が豊か・独創的

悪い精神状態の時
意気消沈する・自意識過剰・片意地・気まぐれ

性格
豊かな感性を持つ芸術家タイプ。音楽や芸術を愛し、エスプリに富んでいる。深い情愛で他人と接し、心温まる関係をつくることができる。


注意
自分が周囲に理解されないと、自分を悲劇の主人公に仕立てて無気力で退廃的になり、殻に閉じこもってしまう場合もある。

仕事
自分の独創的な探求を支えるために、芸術や言語を手段とする音楽家、小説家、ジャーナリストなどの仕事に向いています。

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別に狙ってるわけではないんですが、どんなテストでもこんな感じです。。。。
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by jtakamura95jp | 2005-11-27 22:30 | 詩人という生き方

Life goes on

今、日本WEB詩人会(通称ぽえ会)というところに作品を出している。

一年くらいは続けただろうか?
そこで知り合った人もたくさんいる。

そろそろ、区切りを付けたくなった。
別に何があったわけでも、何か思うところがあったわけでも何でもなく、
ただの気まぐれである。
強いて挙げるなら、自分のHPの更新をする時間が欲しい、ということだろうか。

私は「ネット詩人」ではないのだが、ぽえ会に気まぐれに参加し、とても楽しかった。
群れるのが嫌いな私にしては、珍しく楽しく参加していた。
ある程度目的も達したのではないだろうか。
これからは、また自分のHPに引きこもることにしよう。
昨日、飲んだ帰りに歩きながらそう思った。

しかしまだまだ詩作の日々は続く。
出品する場所もある。

Life goes on である。
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by jtakamura95jp | 2005-11-23 18:16 | 詩人という生き方

「Pavement」

「Pavement」という、20代に書いた作品がある。
30代前半で、ふと思い立ってまた書いた。
同じところは同じにした。
今、また書きたいと思う。

20代で書いた作品は、一人で雨の道を見つめていた。
30代前半では、父親が悲しそうに「お前の人生だ」と言ったことを書いた。
今、自分はどんなものを書くんだろうか。

こうして私はこの作品を、60代、70代になっても書いていきたいと思う。
20代には20代の「Pavement」があった。
そして60代には60代の「Pavement」があると思う。
同じ詩を、違う歳で書いて、私の一代記としたい思いがある。

そして人生最期に書くものもまた、
「Pavement」でありたいと思う。
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by jtakamura95jp | 2005-11-18 04:40 | 詩人という生き方

詩人の孤独

新聞に『薄暮』という作品が載った。
私が得意とする、情景だけを描いた作品だった。

その頃から、ちらほらとお金がもらえるようになり、だんだん生活が変わっていった。
それだけでなく、詩も変わっていった。

その時の自分の考えは、「こう書けば良いんだろ?」というものだった。
今では信じられないくらい尊大だったと思う。
実際その考えは当たる。

時代はバブル。「企業メセナ」という、文化活動に企業が金を出すことが流行した。
賞金も40万、50万というものもあり、賞の数も莫大だった。
賞金20万を一晩で使ったのはその頃の話。
21歳で海沿いのマンションで暮らし始め、同時に、昔の友人と話す機会も無くなった。

お金や詩と裏腹に、生活は孤独だった。
夜起きて生活しながら、朝になり眠った。
酒を飲んだり遊んだりはしていたけど、夜中に堤防に座ってタバコを吸う時も多かった。
霞んだ頭で書いていたその頃の詩は、もうほとんど思い出すこともできない。
稼いだ金も今は無い。
とにかく空しく、孤独で、荒んだ日々でもあった。

それでも、詩にのめり込んだ時期でもあった。
出せば賞が取れた。投稿すれば採用された。
金に困ったことは無かった。
そんな日々に、たまらない退屈を感じていたのかもしれない。
賞状を壁に貼って、ダーツの的にしてたのはその頃からだ。

詩は大嫌いだった。でも、詩以外には何も無かった。
その頃、平穏の無い生活の中で、唯一平穏を描いた『冬の道』という詩が
今、私の一番好きな詩となっている。

平穏な生活を求めながら、平穏でない生活で書ける詩で食っていた、
そんな時代だった気がする。
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by jtakamura95jp | 2005-11-11 01:35 | 詩人という生き方

新人賞入選の日

詩を書いて2作目で新人賞に入選した。
2400通の応募の中から、だから嬉しかったことは間違いない。

しかしそれほどの感動も無かったのは事実で。
中学生の時に取った、全国作文コンクールの方が
ずっとずっと嬉しかった思いがある。

作文コンクールの方は、いつも私だけ残されて、
先生が着きっきりで作文の「推敲」をさせられた。

先生も何か必死だったのは子供ながらに分かった。
きっと、全国レベルに大化けすることを、先生も分かっていたのだろう。
もちろん、私にはそんな気配はまったく感じられず、
何が何やら分からないままに推敲しまくった覚えがある。
銀賞を伝える女性の声は、今でもはっきり覚えている。

初めての新人賞入選『いのち』は、詩を書いて2作目の作品だった。
たった2作で、1作目は佳作を取っている。
なんだか、あっけない。そんな感じだった。
推敲の日々を費やした中学のときの方が
ずっとずっと充実感があった。
黒いロングコートを着て、夜な夜なススキノに出入りしてた
19歳の時のことである。

特に誰に話すのでもなく、一緒に喜んでくれる人もなく、
その日は何となく過ぎていった。
私にとっては、それほどの感動もない、当たり前の一日だった。

時代はバブルになろうとしていた。
そこから、金稼ぎの詩が始まっていく。
しかし、金のためではない、小手先でもない、
この初めての新人賞入選作品は、
いまだに、私にとっては宝物である。

荒稼ぎの時代が終わり、自分なりの詩を書こうと思った時、
私はこの時代の詩に戻っていったのである。
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by jtakamura95jp | 2005-11-07 12:56 | 詩人という生き方

師匠のこと。

なんとも激動の19歳だった。

詩を始める前からよく、札幌のススキノに飲みに行った。
新聞社に勤める知り合いがいて、彼に連れていってもらったのが始まりだった。

そのうち一人で行くようになり、馴染みの店ができた。
その時出会ったのが、詩を書いて、自ら詩誌を主催する「Kさん」という
人だった。

当時40歳、ごくごく普通のオッサンだった気がする。
そのオッサンが「詩を書いている」という。
初めは、奇異な感じがしたことを覚えている。
しかしその人と飲む酒は美味しかった。大騒ぎだった。
この出会いが、詩を書くきっかけになる。

今でも手元にその詩誌「傍(かたわら)」がある。
お世辞にも、Kさんの作品は上手とは言えないのだが、
私にとっては人生唯一の「師」である。
いつも札幌に帰るときは探すのだが、今はどこにいるか分からない。

その後その店は潰れ、Kさんには会えなくなった。
そして会えなくなってしばらくしてから、新人賞佳作の報が来て、
そして次作で入選することになる。

いまだに、Kさんに会いたい。そして伝えたい。
詩人としての激烈な生き方をしてることを。
そしてまた、酒を酌み交わしたい。

私の人生を決定付けた張本人は、今どこにいるのだろうか。
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by jtakamura95jp | 2005-11-02 21:30 | 詩人という生き方