詩人高村純の日記です


by jtakamura95jp

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あれれ。

今日会社の健康診断の二次検査の結果が来たわけで。

「要診察」とはorz
白血球の高さはいつもながらだけど
なんかの値が7700とは素晴らしい。
いや素晴らしくない。
こんな年末に来られてもな~
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by jtakamura95jp | 2005-12-29 14:31 | 随想

疲労

もともと体が悪いこともあって、
疲労が溜まるとネガティブになったり、普段では考えられない行動をする。

最近は特に泊まり勤務ばかりの日々が延長になって
だいぶ疲労も溜まっている。
今は考えられないほど、すべてにネガティブである。

体調はここ10年ほどずっと悪くて、歩くのも辛いときがある。
癌を疑われるほど痩せたこともある。
しかし一番の問題は、体が悪いことによる精神の疲労である。
そこに今のような季節の変わり目が来ると、もうダメだ

この疲労はなかなか治らない。
体が楽になるのを待つだけである
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by jtakamura95jp | 2005-12-28 19:13 | 随想
以前勤めていた少年院で、情熱的な教官が言った言葉がある。
「我々は、学校が見捨てた子供を救っているんだ」
まさにその通りであった。

今回の「御殿場事件」でも、学校は同じ事をした。
公判中の「推定無罪」の状態の彼らを退学にしたのだ。

学校が、いかに綺麗ごとだけを言っているかが分かる。

彼らが悪ガキだったことは分かる。しかし、それだけのことだ。
身の危険が常にあった少年院とは違う。
ほとんどの悪ガキは、一転すれば、先生を「崇拝」と言えるほどに
尊敬する。
そのくらい、実は彼らは情が深かったりする。
伊丹の電車脱線事件では、そんなお兄ちゃんが乗客の命を救った例もある。
要は、接する側の問題なのだ。

確かに、彼らが小さな悪さをしてきたことは事実だろうし、
まぁそれは否定しないのであるが、
それに対し、自分たちの滑稽さ、醜さ、ありもしない自己満足の正義感を
社会にさらけ出している大人のほうがもっと滑稽である。
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by jtakamura95jp | 2005-12-18 16:22 | 随想

歪んだ正義感①


今明け番の起き抜けにテレビを見ていたら、「ザ・スクープ」という番組で
「御殿場事件」という事件の詳細をやっていた。

御殿場事件とは、一人の少女が、昔の知り合いに集団でレイプされたと
訴え出た事件である。
結局はその少女が嘘をついていたことが分かったのであるが、
「事件は別の日だった」と言い出し、それが認められて
当時少年であった被告4人に懲役2年の1審判決が下った。
現在、控訴中である。

その「別の日」には雨が降っていたのだが、
少女は「降っていなかった」と言った。
日本気象協会が「降っていた」と言っているものも裁判官は無視し、
少年たちに有罪判決を下したのである。
「裁判所は事実を捻じ曲げようとしている」という気象協会の言葉が辛らつである。

昔少年犯罪の最前線で彼らと向き合っていた私だから、強く思う。
大人は、こういうことをしてはいけない。

目先の下らない自分の正義感や、意地を振り回して、自分だけ気持ち良くなって
正義感面して、ありもしない事件を作り上げてはいけない。

なぜなら、こういう冤罪が起こると、必ず、本当にやった他のレイプの犯罪に
多大なる影響が出るからだ。

訴えでた女性が疑われたり、冤罪だと主張するケースが爆発的に増えるだろう。
他の同類の事件への影響を考えて、合理的な判断を下せない裁判所は、
もはや裁判所ではない。

この事件は、裁判所が感情論に走った裁判である。
悪ガキどもがしたことと、という先入観がある。
2転3転する少女の言葉に、下らない正義感でお付き合いしている裁判所が
滑稽でもある。
なぜそれが、他の多くのレイプ事件の本当の被害者を、さらに傷つけることに
気付かないのか。

すでに、少年たちの自白調書が嘘であること、合理的客観的嘘があることで、
この事件は終わっている。
ズルズル先延ばしをしたがために、マスコミの知るところとなり、
多くの人が知るところとなった。

悪ガキだから悪いことを何でもする、というのは間違いだ。
彼らはちゃんとバイトをして、稼いでいた。
残業して、夜10時まで働いていた記録も残っている。

裁判所に入るまで、働いたことも無い世間知らずの裁判官などに、何が分かる。
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by jtakamura95jp | 2005-12-18 15:57 | 随想

ありもしない金。


ひさびさに笑ってしまった。
東証のみずほ証券の株事件である。
61万円で1株売るところを、1円で61万株を売るとして誤発注した事件だが、
結局それを取り消せないというシステムの不具合が明らかになったところで、
もうお笑いである。

結果として、みずほ証券と東証と、システムを作った富士通が共同で、
ジェイコム株に対し「カラ売りを浴びせた」ということである。
この結果、ジェイコム株は暴落した。

ひさびさに、人の命に関わらない話であるのだから、大いに笑うところである。

ありもしない株が売買可能であることがまずお笑いであるし、
ありもしない株を売って損をしてしまったみずほ証券もお笑いである。
そして、ありもしない金で頭を下げた偉い人たちもお笑いだし、
目ざとくその、ありもしない株を買い占めた証券会社が出てきたのもこれまたお笑いである。

泣いたのは、適正に株を売れなかったジェイコムくらいであるが、
どこぞの手抜きマンションみたいに、即命に関わる話でもない。

本当に不思議な話だ。みずほ証券は、ありもしない損をしたのだ。
ただで金をバラ撒いたに等しい。しかも損失は300億である。
「俺にくれれば、もっと効果的に使ってやる」という、
3000万人くらいのツッコミを一斉に入れるところである。
当然私もその一人である。将来有望な詩人の生活を、何人も面倒見れるではないか。

無いもので泣いたり笑ったり。変てこな話だ。
私の豚の貯金箱に入っているゲンナマこそが最強である、と思う瞬間であった。
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by jtakamura95jp | 2005-12-13 05:06 | 随想

夢について話す機会があった。

そういえば私は3年前、詩を始めて15年以上が経過していたことに気付いた。
すっかり忘れていたのである。

何が始まりか思い返したところ、中学生の時に全国作文コンクールで銀賞を取ったことを思い出した。
するとこんどは、小学生3年のときに、原稿用紙100枚の作文を書いたのを思い出した。
私の詩を書く夢は、実はその時に始まっていたんだと、今になって思う。

「夢を持て」などと言うのは、夢を持たなかった大人が言うことだ。
本来なら、それが夢と気付いたとき、すでに夢は始まっているのだから。

ミュージシャンなら、夢うんぬんと言う前に、すでにどこかで演奏してるだろうし、
ギターを死ぬほど練習していることだろう。
役者ならすでに劇団に入っているだろうし、野球選手ならすでに野球を始めている。
技術者なら、すでに何かの組み立てくらい始めているだろう。

しかも、そういう環境が、まるで準備されているかのように身近にあったりする。
そんなものだ。

よく「詩人になるにはどうしたら良いですか」という質問を目にする。
その質問は変である。
なぜなら、もし詩人になりたいのなら、すでに詩集を作るなり、賞に出すなり、
どこかの同人になっていたりするはずだ。
悩むのはそれからである。
「役者になりたいのですが」と言う暇があったら、もう劇団を探しているはずだ。

それが夢だと思う。
夢を持たない大人の言うことを聞く必要は無い。
もうすでに、何かが始まっているのだ。
そしてその道を歩いていることを知ったときは、
強い意志で進んでいくだけだ。

どうせ、一度きりの人生なんだから。
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by jtakamura95jp | 2005-12-11 01:39 | 詩人という生き方

プロとアマの境そのⅡ


人生に大切なものはいくつかあるが、
「この人には勝てない」という人との出会いも、大切なものだと思う。
それが人に謙虚さや向上心を教えてくれる。

さて、詩の話である。
あるところで「今は名刺に『詩人』と書けば、誰でも詩人になれる」と
掲示板に書いていた人がいた。
当然私のことだから掲示板には参加しないのであるが、
思ったのは、「そうか。なら名刺に『詩人』と書けば良い」
ということである。
その人は「冷笑」という言葉の意味を知ることになるだろう。

でも、ある意味それは正しい。
今、詩にプロなどいないのだから。
金をもらえばプロ、なんて言葉を聞くが、そうではないだろう。
アマチュアに負けない作品、プライド、立ち居振る舞いにいたるまで、
すべてを称して「プロ」と言うのではないだろうか。

詩の受賞作や詩集を読むと、プロとアマの垣根が無い。
ある意味、将棋界の求めている理想郷がここにはあるが、
それはこんなにも、実態の無い、寂しい世界なのである。
台所に日がさした、なんて詩のどこに感動すべきなのか私は知りたい。

つまりこうなると、人に対して、周りがチヤホヤするだけになってしまう。
昔は死んでから有名になった人がたくさんいるが、
あれはつまり作品が優秀だったけど、人間は誰からも相手にされなかったからであろうし、
今は死んだらそれまでで、
チヤホヤしていた人たちが一斉にいなくなる、という悲哀を感じるだけだろう。

私もそれは嫌になるほど見てきた。
人を見てるのであって、作品を見ていないなんてことは、
見ていて嫌な気分である。
薄気味悪いほどみんなが誉めるのである。
意味の分からない駄作を。

私はどうだろう。今も今後もどこにも所属しないでやっていくつもりだから、
まぁ、有名とは程遠い生活が続くだろう。
どこかに所属して、偉くなる、これが無いといけないらしいから。

しかし作品を読んでくれる人がいる。求めてくれる人がいる。
これだけで私は充分だ。
こんなに幸せなことはない。

昔、女性にフラれた時に、「作品は好きだけど、あなたは嫌いよ!」と言われことがあるが
これは詩人にとって素晴らしい誉め言葉である。
こうでなくっちゃ。
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by jtakamura95jp | 2005-12-09 16:13 | 詩の話

プロとアマの境そのⅠ


将棋で、戦後初めてアマチュアがプロになった。

はて?プロになる前は誰でもアマチュアではないのか?
と思う人もいるかもしれないが、将棋のシステムはちょっと違う。

将棋でプロになるためには、「奨励会」というところに所属しなくてはならない。
全国のアマチュア大会で活躍できて、やっと入れるかどうか、
というところである。
しかも厳しい年齢制限があり、奨励会を勝ち抜かないと、
年齢で退会に追い込まれるというところである。

今回プロになったSさんも、一度奨励会を年齢制限で退会になり、
サラリーマンをしながらアマ大会に出て、アマも参加できるプロの棋戦で
プロ相手に17勝をあげ、
今回、「試験」として将棋連盟が選んだ6人のプロに3勝をあげ、
ようやくプロ棋士となった。
つまり、奨励会を経由しないプロは戦後初なのである。

しかし。これは果たして良かったのだろうか?
今回の「試験」で、プロ棋士がアマチュアに3人も負けたのである。
一人は元「女流名人」の現役である。
ちょっと待て、と言いたくもなる。

その昔、升田幸三という大棋士がいた。引退後この人が、
やはりアマチュアで、プロに連勝していた小池というアマチュアと、
角落ち(「角」という駒の無いハンデ戦)を戦った。
当然、角が無いハンデを負ったのは升田の方である。

結果は、升田圧勝であった。
それで、一部にあった「小池をプロへ」という話は一蹴され、
プロというものの権威が絶大になった。

「ナめちゃいけない。痩せても枯れてもワシはプロだ」
その時、升田が言った言葉である。
それが、プロ名乗るものの義務であり誇りであったはずだ。

今回負けた3人に、「負けたら引退しろ」くらい言える人はいないようだ。
勝ったアマと負けたプロが、対戦後に仲良くヘラヘラ笑って写っている写真があるが、
ただただ不快だ。

(そのⅡへ続く)
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by jtakamura95jp | 2005-12-09 15:44 | 詩の話

24時間30分

今警察官のテレビ番組を見ていた。

そこで「3日に1度の24時間勤務」と言っていて、
すげ~~~と思っていたが、
よく考えてみれば自分もやっていたことを思い出して苦笑い。

警察官など特別公務員は、宿勤務は24時間30分の勤務である。
それが、だいたい週1~2回ある。
朝8時半に出勤して、帰るのは次の日の朝9時である。
もちろん、状況によって帰れない時がある。いや、その方が多い。
さらに昼過ぎまで書類書きなどをするのである。
仮眠は4時間あるが、とても眠れたものではない。

情熱が無ければ、とてもできるものではない。
よくやったなと思う。

では今の仕事でできるかと聞かれれば…

やらない(きっぱり)
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by jtakamura95jp | 2005-12-06 20:35 | 随想

傍観者

詩は、往々にして自分の思いを告白するものである。
しかし、詩は、そんな思いに対し常に傍観者である。
この矛盾こそ詩であると思う。

自分の思いだけを書き連ねたものは、往々にして駄作である。
特に、誰か特定の人に対して書かれたものは、
公共の場では読むに値しない。不快なだけだ。

けれど、詩は自分の思いが入り込まねば、とても書けるものではない。
詩がそれを傍観する立場にいなければ、
あとはグズグズとした泥のようなものが残るだけだ。

そう思うと、詩はいかに難しく、いかに深いものであるかと思う。
そこに自分がいなくてはならない。
しかし、そこに自分がいてはならない。
この2つが交わるところに、名作があるのだと思う。

詩とは自分を告白していくことであり、
詩はそれを傍観するものである。
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by jtakamura95jp | 2005-12-03 02:51 | 詩の話