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詩人高村純の日記です


by jtakamura95jp

歪んだ正義感①


今明け番の起き抜けにテレビを見ていたら、「ザ・スクープ」という番組で
「御殿場事件」という事件の詳細をやっていた。

御殿場事件とは、一人の少女が、昔の知り合いに集団でレイプされたと
訴え出た事件である。
結局はその少女が嘘をついていたことが分かったのであるが、
「事件は別の日だった」と言い出し、それが認められて
当時少年であった被告4人に懲役2年の1審判決が下った。
現在、控訴中である。

その「別の日」には雨が降っていたのだが、
少女は「降っていなかった」と言った。
日本気象協会が「降っていた」と言っているものも裁判官は無視し、
少年たちに有罪判決を下したのである。
「裁判所は事実を捻じ曲げようとしている」という気象協会の言葉が辛らつである。

昔少年犯罪の最前線で彼らと向き合っていた私だから、強く思う。
大人は、こういうことをしてはいけない。

目先の下らない自分の正義感や、意地を振り回して、自分だけ気持ち良くなって
正義感面して、ありもしない事件を作り上げてはいけない。

なぜなら、こういう冤罪が起こると、必ず、本当にやった他のレイプの犯罪に
多大なる影響が出るからだ。

訴えでた女性が疑われたり、冤罪だと主張するケースが爆発的に増えるだろう。
他の同類の事件への影響を考えて、合理的な判断を下せない裁判所は、
もはや裁判所ではない。

この事件は、裁判所が感情論に走った裁判である。
悪ガキどもがしたことと、という先入観がある。
2転3転する少女の言葉に、下らない正義感でお付き合いしている裁判所が
滑稽でもある。
なぜそれが、他の多くのレイプ事件の本当の被害者を、さらに傷つけることに
気付かないのか。

すでに、少年たちの自白調書が嘘であること、合理的客観的嘘があることで、
この事件は終わっている。
ズルズル先延ばしをしたがために、マスコミの知るところとなり、
多くの人が知るところとなった。

悪ガキだから悪いことを何でもする、というのは間違いだ。
彼らはちゃんとバイトをして、稼いでいた。
残業して、夜10時まで働いていた記録も残っている。

裁判所に入るまで、働いたことも無い世間知らずの裁判官などに、何が分かる。
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# by jtakamura95jp | 2005-12-18 15:57 | 随想

ありもしない金。


ひさびさに笑ってしまった。
東証のみずほ証券の株事件である。
61万円で1株売るところを、1円で61万株を売るとして誤発注した事件だが、
結局それを取り消せないというシステムの不具合が明らかになったところで、
もうお笑いである。

結果として、みずほ証券と東証と、システムを作った富士通が共同で、
ジェイコム株に対し「カラ売りを浴びせた」ということである。
この結果、ジェイコム株は暴落した。

ひさびさに、人の命に関わらない話であるのだから、大いに笑うところである。

ありもしない株が売買可能であることがまずお笑いであるし、
ありもしない株を売って損をしてしまったみずほ証券もお笑いである。
そして、ありもしない金で頭を下げた偉い人たちもお笑いだし、
目ざとくその、ありもしない株を買い占めた証券会社が出てきたのもこれまたお笑いである。

泣いたのは、適正に株を売れなかったジェイコムくらいであるが、
どこぞの手抜きマンションみたいに、即命に関わる話でもない。

本当に不思議な話だ。みずほ証券は、ありもしない損をしたのだ。
ただで金をバラ撒いたに等しい。しかも損失は300億である。
「俺にくれれば、もっと効果的に使ってやる」という、
3000万人くらいのツッコミを一斉に入れるところである。
当然私もその一人である。将来有望な詩人の生活を、何人も面倒見れるではないか。

無いもので泣いたり笑ったり。変てこな話だ。
私の豚の貯金箱に入っているゲンナマこそが最強である、と思う瞬間であった。
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# by jtakamura95jp | 2005-12-13 05:06 | 随想

夢について話す機会があった。

そういえば私は3年前、詩を始めて15年以上が経過していたことに気付いた。
すっかり忘れていたのである。

何が始まりか思い返したところ、中学生の時に全国作文コンクールで銀賞を取ったことを思い出した。
するとこんどは、小学生3年のときに、原稿用紙100枚の作文を書いたのを思い出した。
私の詩を書く夢は、実はその時に始まっていたんだと、今になって思う。

「夢を持て」などと言うのは、夢を持たなかった大人が言うことだ。
本来なら、それが夢と気付いたとき、すでに夢は始まっているのだから。

ミュージシャンなら、夢うんぬんと言う前に、すでにどこかで演奏してるだろうし、
ギターを死ぬほど練習していることだろう。
役者ならすでに劇団に入っているだろうし、野球選手ならすでに野球を始めている。
技術者なら、すでに何かの組み立てくらい始めているだろう。

しかも、そういう環境が、まるで準備されているかのように身近にあったりする。
そんなものだ。

よく「詩人になるにはどうしたら良いですか」という質問を目にする。
その質問は変である。
なぜなら、もし詩人になりたいのなら、すでに詩集を作るなり、賞に出すなり、
どこかの同人になっていたりするはずだ。
悩むのはそれからである。
「役者になりたいのですが」と言う暇があったら、もう劇団を探しているはずだ。

それが夢だと思う。
夢を持たない大人の言うことを聞く必要は無い。
もうすでに、何かが始まっているのだ。
そしてその道を歩いていることを知ったときは、
強い意志で進んでいくだけだ。

どうせ、一度きりの人生なんだから。
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# by jtakamura95jp | 2005-12-11 01:39 | 詩人という生き方

プロとアマの境そのⅡ


人生に大切なものはいくつかあるが、
「この人には勝てない」という人との出会いも、大切なものだと思う。
それが人に謙虚さや向上心を教えてくれる。

さて、詩の話である。
あるところで「今は名刺に『詩人』と書けば、誰でも詩人になれる」と
掲示板に書いていた人がいた。
当然私のことだから掲示板には参加しないのであるが、
思ったのは、「そうか。なら名刺に『詩人』と書けば良い」
ということである。
その人は「冷笑」という言葉の意味を知ることになるだろう。

でも、ある意味それは正しい。
今、詩にプロなどいないのだから。
金をもらえばプロ、なんて言葉を聞くが、そうではないだろう。
アマチュアに負けない作品、プライド、立ち居振る舞いにいたるまで、
すべてを称して「プロ」と言うのではないだろうか。

詩の受賞作や詩集を読むと、プロとアマの垣根が無い。
ある意味、将棋界の求めている理想郷がここにはあるが、
それはこんなにも、実態の無い、寂しい世界なのである。
台所に日がさした、なんて詩のどこに感動すべきなのか私は知りたい。

つまりこうなると、人に対して、周りがチヤホヤするだけになってしまう。
昔は死んでから有名になった人がたくさんいるが、
あれはつまり作品が優秀だったけど、人間は誰からも相手にされなかったからであろうし、
今は死んだらそれまでで、
チヤホヤしていた人たちが一斉にいなくなる、という悲哀を感じるだけだろう。

私もそれは嫌になるほど見てきた。
人を見てるのであって、作品を見ていないなんてことは、
見ていて嫌な気分である。
薄気味悪いほどみんなが誉めるのである。
意味の分からない駄作を。

私はどうだろう。今も今後もどこにも所属しないでやっていくつもりだから、
まぁ、有名とは程遠い生活が続くだろう。
どこかに所属して、偉くなる、これが無いといけないらしいから。

しかし作品を読んでくれる人がいる。求めてくれる人がいる。
これだけで私は充分だ。
こんなに幸せなことはない。

昔、女性にフラれた時に、「作品は好きだけど、あなたは嫌いよ!」と言われことがあるが
これは詩人にとって素晴らしい誉め言葉である。
こうでなくっちゃ。
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# by jtakamura95jp | 2005-12-09 16:13 | 詩の話

プロとアマの境そのⅠ


将棋で、戦後初めてアマチュアがプロになった。

はて?プロになる前は誰でもアマチュアではないのか?
と思う人もいるかもしれないが、将棋のシステムはちょっと違う。

将棋でプロになるためには、「奨励会」というところに所属しなくてはならない。
全国のアマチュア大会で活躍できて、やっと入れるかどうか、
というところである。
しかも厳しい年齢制限があり、奨励会を勝ち抜かないと、
年齢で退会に追い込まれるというところである。

今回プロになったSさんも、一度奨励会を年齢制限で退会になり、
サラリーマンをしながらアマ大会に出て、アマも参加できるプロの棋戦で
プロ相手に17勝をあげ、
今回、「試験」として将棋連盟が選んだ6人のプロに3勝をあげ、
ようやくプロ棋士となった。
つまり、奨励会を経由しないプロは戦後初なのである。

しかし。これは果たして良かったのだろうか?
今回の「試験」で、プロ棋士がアマチュアに3人も負けたのである。
一人は元「女流名人」の現役である。
ちょっと待て、と言いたくもなる。

その昔、升田幸三という大棋士がいた。引退後この人が、
やはりアマチュアで、プロに連勝していた小池というアマチュアと、
角落ち(「角」という駒の無いハンデ戦)を戦った。
当然、角が無いハンデを負ったのは升田の方である。

結果は、升田圧勝であった。
それで、一部にあった「小池をプロへ」という話は一蹴され、
プロというものの権威が絶大になった。

「ナめちゃいけない。痩せても枯れてもワシはプロだ」
その時、升田が言った言葉である。
それが、プロ名乗るものの義務であり誇りであったはずだ。

今回負けた3人に、「負けたら引退しろ」くらい言える人はいないようだ。
勝ったアマと負けたプロが、対戦後に仲良くヘラヘラ笑って写っている写真があるが、
ただただ不快だ。

(そのⅡへ続く)
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# by jtakamura95jp | 2005-12-09 15:44 | 詩の話