詩人高村純の日記です


by jtakamura95jp
a0053887_2331383.jpg浜田省吾である。
中2の時に聞いた『マイホームタウン』が、まさに住んでる町も学校も嫌だった私にとって、
ものすごい衝撃でもあったし、感動でもあった。
そこからまさか20年以上も聞くことになるとは思わなかったけど。。

ま、それは「表のきっかけ」で、
本当は、当時好きだった子が、「暗い曲は嫌い」と言っているのを聞いて、
何か彼女にアピールできる曲を聞きたいと思ったことで。。。
初恋だった。
初恋の子にアピールできず、浜田省吾が残った。そんな感じである。
まぁ、そんな時代もあったわけでw

私は聞き出したらその歌手しか聞かない。
浜田省吾ばっかり聞いていた。アルバムも、全部そろえた。
しかし何かとタイミングが悪く、ツアーには行けず、20年以上が経った。

先日、初めてツアーに行った。4時間半。燃えた。
何せ『マイホームタウン』を歌ってくれたのである。
人生で一番、狂った(笑)

浜田省吾はもう50歳を超えてるだろうか?
凄いパワーと体力である。
声量も凄いし、圧倒された一日だった。
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# by jtakamura95jp | 2005-11-15 23:45 | 随想

トンカツ理論。

昔知った言葉で、こりゃ良いなぁという言葉がある。

「人生、食べたいときにトンカツが食べられればそれで良い」

これはなかなか良い言葉だと思う。

犯罪を犯す人の傾向に、「ここで一発…」という感情がある。
ここで一発何か大きいことをしたい、社会的に認められたい。。。
小さなものだと掲示板を荒らす人々だろうし、大きくなると犯罪となる。

注目されたい、自分のことを注目してほしい、
そんな考えは面倒この上ないものの上に成り立っているのだけど、
それを考えないで、注目されたい、という感情が先に立つ人がいる。

有名になるということは、フルコースを手順どおりに食べるということであり、
茶会で作法どおりに行儀振る舞いをする、ということである。
立ち食い蕎麦などもってのほか。そういうものである。

有名になれば、そういう場に行く機会が増える。
そしてみんな、自分の方を向いている。
そんな中で、もっとも難解な魚料理を綺麗に食べる、これが有名ということだ。
京都の高級な料理店で、綺麗に汁物を食べる、そういうことだ。
それは、政治家でも、会社社長でも、芸人でも、変わらない。
そういう所で、きちんとした振る舞いができないと、
馬鹿にされる、などというものでは済まない。
そういう、細々したことの努力もしないで、構ってほしい、
これは残念ながら話にならない。注目されない以上にたいへんなことなのだ。

そこで、トンカツである。
私は有名になりたいとは思わない。詩は多くの人に読んでほしいけど、
それでどうなろう、とは思ってはいない。

今食べたい時にトンカツが食べられる。もちろん、寿司もステーキも食べられるけど、
高級なものに努力したのは昔の話で、
今はたまに新入社員や学生の人を連れて行って、
「誰も教えてくれない、恥をかかないフランス料理講座」をする程度である。

普段元気のない時は、トンカツだ
誰にも注目されず、誰にもとがめられず食べる
ソースたっぷりのトンカツは最高だ(笑)

地位も名誉も特にないから、心配することもない。
自由にトンカツが食べられて、自由に詩が書ける今が、
一番贅沢な生活をしているように思う。


いや。。。一つだけ目標がある。
「高村純」が園遊会に出る、これが私の人生の目標だ。
だから、やっぱり行儀作法の練習はしているのだけど(笑)
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# by jtakamura95jp | 2005-11-12 19:13 | 随想

詩人の孤独

新聞に『薄暮』という作品が載った。
私が得意とする、情景だけを描いた作品だった。

その頃から、ちらほらとお金がもらえるようになり、だんだん生活が変わっていった。
それだけでなく、詩も変わっていった。

その時の自分の考えは、「こう書けば良いんだろ?」というものだった。
今では信じられないくらい尊大だったと思う。
実際その考えは当たる。

時代はバブル。「企業メセナ」という、文化活動に企業が金を出すことが流行した。
賞金も40万、50万というものもあり、賞の数も莫大だった。
賞金20万を一晩で使ったのはその頃の話。
21歳で海沿いのマンションで暮らし始め、同時に、昔の友人と話す機会も無くなった。

お金や詩と裏腹に、生活は孤独だった。
夜起きて生活しながら、朝になり眠った。
酒を飲んだり遊んだりはしていたけど、夜中に堤防に座ってタバコを吸う時も多かった。
霞んだ頭で書いていたその頃の詩は、もうほとんど思い出すこともできない。
稼いだ金も今は無い。
とにかく空しく、孤独で、荒んだ日々でもあった。

それでも、詩にのめり込んだ時期でもあった。
出せば賞が取れた。投稿すれば採用された。
金に困ったことは無かった。
そんな日々に、たまらない退屈を感じていたのかもしれない。
賞状を壁に貼って、ダーツの的にしてたのはその頃からだ。

詩は大嫌いだった。でも、詩以外には何も無かった。
その頃、平穏の無い生活の中で、唯一平穏を描いた『冬の道』という詩が
今、私の一番好きな詩となっている。

平穏な生活を求めながら、平穏でない生活で書ける詩で食っていた、
そんな時代だった気がする。
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# by jtakamura95jp | 2005-11-11 01:35 | 詩人という生き方

困った話。

以前、勤めていた店の中で4~5歳くらいの女の子の迷子がいた。
お母さんは?と聞いたところ、「探しに行く!」と言う。
仕方がないので着いて行こうとしたところ、
手を差し出してきて、「つないで!」と言う。
仕方なく手をつないで探しに行った。(すぐ見つかったけど)
「誘拐」という言葉が浮かんで冷や汗をかいた。

そして今回温泉に行ったとき、着替えをしていたら、
やはり4~5歳くらいの女の子が、お父さんに連れられてきていた。
お父さんが髪を乾かしてる最中に、なぜかトコトコ私のところにきて、
「ちゃんと温まらないとね!」と言う。
周りを見ると私しかいない…
「う・・・うん、そうだね」と言っったら、納得したようにうなずいて、
またどこかへ行ってしましった。

子供はあまり愛想の良くない私に何を見てるのか。
「月の詩人」も台無しだ(笑)
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# by jtakamura95jp | 2005-11-08 00:31 | 随想

新人賞入選の日

詩を書いて2作目で新人賞に入選した。
2400通の応募の中から、だから嬉しかったことは間違いない。

しかしそれほどの感動も無かったのは事実で。
中学生の時に取った、全国作文コンクールの方が
ずっとずっと嬉しかった思いがある。

作文コンクールの方は、いつも私だけ残されて、
先生が着きっきりで作文の「推敲」をさせられた。

先生も何か必死だったのは子供ながらに分かった。
きっと、全国レベルに大化けすることを、先生も分かっていたのだろう。
もちろん、私にはそんな気配はまったく感じられず、
何が何やら分からないままに推敲しまくった覚えがある。
銀賞を伝える女性の声は、今でもはっきり覚えている。

初めての新人賞入選『いのち』は、詩を書いて2作目の作品だった。
たった2作で、1作目は佳作を取っている。
なんだか、あっけない。そんな感じだった。
推敲の日々を費やした中学のときの方が
ずっとずっと充実感があった。
黒いロングコートを着て、夜な夜なススキノに出入りしてた
19歳の時のことである。

特に誰に話すのでもなく、一緒に喜んでくれる人もなく、
その日は何となく過ぎていった。
私にとっては、それほどの感動もない、当たり前の一日だった。

時代はバブルになろうとしていた。
そこから、金稼ぎの詩が始まっていく。
しかし、金のためではない、小手先でもない、
この初めての新人賞入選作品は、
いまだに、私にとっては宝物である。

荒稼ぎの時代が終わり、自分なりの詩を書こうと思った時、
私はこの時代の詩に戻っていったのである。
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# by jtakamura95jp | 2005-11-07 12:56 | 詩人という生き方