歪んだ正義感② 見捨てる人々
2005年 12月 18日
以前勤めていた少年院で、情熱的な教官が言った言葉がある。
「我々は、学校が見捨てた子供を救っているんだ」
まさにその通りであった。
今回の「御殿場事件」でも、学校は同じ事をした。
公判中の「推定無罪」の状態の彼らを退学にしたのだ。
学校が、いかに綺麗ごとだけを言っているかが分かる。
彼らが悪ガキだったことは分かる。しかし、それだけのことだ。
身の危険が常にあった少年院とは違う。
ほとんどの悪ガキは、一転すれば、先生を「崇拝」と言えるほどに
尊敬する。
そのくらい、実は彼らは情が深かったりする。
伊丹の電車脱線事件では、そんなお兄ちゃんが乗客の命を救った例もある。
要は、接する側の問題なのだ。
確かに、彼らが小さな悪さをしてきたことは事実だろうし、
まぁそれは否定しないのであるが、
それに対し、自分たちの滑稽さ、醜さ、ありもしない自己満足の正義感を
社会にさらけ出している大人のほうがもっと滑稽である。
「我々は、学校が見捨てた子供を救っているんだ」
まさにその通りであった。
今回の「御殿場事件」でも、学校は同じ事をした。
公判中の「推定無罪」の状態の彼らを退学にしたのだ。
学校が、いかに綺麗ごとだけを言っているかが分かる。
彼らが悪ガキだったことは分かる。しかし、それだけのことだ。
身の危険が常にあった少年院とは違う。
ほとんどの悪ガキは、一転すれば、先生を「崇拝」と言えるほどに
尊敬する。
そのくらい、実は彼らは情が深かったりする。
伊丹の電車脱線事件では、そんなお兄ちゃんが乗客の命を救った例もある。
要は、接する側の問題なのだ。
確かに、彼らが小さな悪さをしてきたことは事実だろうし、
まぁそれは否定しないのであるが、
それに対し、自分たちの滑稽さ、醜さ、ありもしない自己満足の正義感を
社会にさらけ出している大人のほうがもっと滑稽である。
by jtakamura95jp
| 2005-12-18 16:22
| 随想